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新宿中央公園の謎解きを作りましたので、その調査として淀橋の跡地を巡ってきました。淀橋の跡地を巡ることで西新宿の歴史を垣間見ることができました。
1932年に発足した旧・淀橋区は、現在の新宿区の西部に存在していました。淀橋区は1932年から1947年までの間に存在していた地名で、1947年に四谷区・牛込区との合併により新宿区が発足し、淀橋区が廃止となりました。
今回はそんな淀橋の跡地を巡ってきました。新宿中央公園からスタートして淀橋市場に向かい、新宿駅近くを通って新宿中央公園に戻るルートで巡りました。
淀橋庚申堂
庚申堂は庚申の日に人々が集まって三猿を祭って一切の邪念を払うところだったそうです。
庚申は本来は十干十二支の庚と申がくっついたもので、中国に起源を持つ庚申信仰から来ています。庚申の日とは、庚申信仰が由来の夜通し行う宴や庚申祭を行う日のことだそうです。現在では、庚申様という神様を祀った神社や寺院でお祭が行われ、無病息災や除災招福を願うものが主流みたいです。
庚申堂の由来を読むと、ここ淀橋庚申堂は、通りすがりの旅人がふと立ち止まり手を合わせて旅の疲れをホッと吐き出すところだったそうです。
淀橋けやきばし公園
西新宿五丁目中央北地区の再開発事業により整備された公園です。
けやきばしという名前は再開発によって姿を消した「けやき橋商店街」から取ったもので、当時の住民の方々からの「名前を残してほしい」との要望が命名のきっかけになっているそうです。
淀橋
淀橋は、東京都新宿区と中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋です。
淀橋という橋の名称はかつて姿見ずの橋、面影橋、「川の流れが緩やかでよどんで見えたから」など、淀橋となった由来にはさまざまな説があるそうです。
新宿の歴史が知れるパネル
淀橋周辺を歩いている途中にこんなものを見つけました。新宿の歴史を写真と共に紹介しており、とても興味深かったです。
淀橋咳止地蔵尊
淀橋咳止地蔵は、その名の通り、咳止めにご利益のあるお地蔵さんです。
咳止め地蔵と呼ばれるお地蔵さんは全国各地に存在しており、時勢柄ウクライナのマスクをしていました。
淀橋第四小学校
ここ新宿区立淀橋第四小学校は、この「淀橋」の地名を今に伝える最後の公立小学校となっているそうです。
淀橋市場
関東大震災以降、人口が急増した東京市の周辺区部や郡部の青果物供給拠点として、1939年に淀橋区役所の隣に開設された青果市場です。東京都中央卸売市場のなかでは青果市場としての規模は大田市場、豊洲市場に次ぐそうです。
実際に中に入って見たかったのですが、訪れた時間では既に閉場しており、残念ながら中には入れなかったです。。
淀橋浄水場跡
淀橋浄水場跡に最初に建設された超高層ビルは京王プラザホテルで、その後都庁舎が完成し、新宿副都心の超高層ビル群に成長しました。
この淀橋浄水場跡は現在は新宿エルタワーの前にあります。この辺りは淀橋浄水場の入り口があったそうです。
旧淀橋浄水場蝶型弁
かつて淀橋浄水場で使われていた蝶型弁だそうです。
淀橋浄水場は東京水道発祥の地として東京に住む多くの人々に安全な水を供給する大切な場所であったことがわかります。
淀橋浄水場の煉瓦のモニュメント
新宿中央公園に戻って来ました。
新宿中央公園のSHUKNOVA前では浄水場の歴史を後世に伝えるべく、レンガ(浄水場を意味)とガラス(水を意味)のモニュメントを設置しているそうです。
このレンガは実際に淀橋浄水場で使われていたレンガなのでしょうか。いずれにせよ至る所に淀橋浄水場の記憶が残されていたことが今回の淀橋跡地巡りでわかりました。
今回巡った場所
最後に今回巡った場所をまとめておきます。
まとめ
他にもヨドバシカメラや旧淀橋市役所、あとたしか文化学園大学の前にも跡地があったと思います。西新宿は急激な発展を遂げて大きく変わりましたが、このような跡地が残っていることは歴史を知る上でも良いことだなと思います。
そんな西新宿の歴史を少し知ることができる新宿中央公園の謎解きを作ってみたのでよろしければ遊んでみてください!
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2024年8月25日(日)〜